岩國哲人さんのお話(前衆議院議員・元出雲市長)

03前衆議院議員であられます岩國哲人さんに、出雲市長時代からの環境に対する持論から現在まで、色々なお話をお伺いしました。

── 以前はメリルリンチ・キャピタル・マーケットの国際部門の上席副社長をされていたということですが、なぜ出雲市長に転身されたのですか?

岩國 「幼い頃に出雲に住んでまして、高校も出雲の高校を卒業しました。母の故郷でもあるのですが、そこから熱心に出馬要請がありましてね。それじゃぁ、やってみようかなと。」

── 市民は先生に何を期待されたのでしょうか。

岩國 「地元の人々は、私の経歴から企業誘致して出雲市の活性化を期待していたみたいですが、私自身がロンドンやパリ、ニューヨークなどの大都市を見てきた中で感じたことは、これからは開発の時代ではなく、環境の時代になっていくだろうと。価値観が変わってきたのです。」

── でもバブルの時代で、日本が開発の絶頂期でしたから、市民の反対もかなりあったのではないでしょうか?

岩國 「開発に反対というと大袈裟に聞こえるかもしれないですが、とにかく市民の認識を変えていかなくてはなりませんでした。環境がいいということはイコール田舎だという認識ですね。東京が先頭を走ってて、出雲市はビリを走ってる・・・これは開発が遅れているということです。でも、発想の転換をすれば、開発がおくれていることイコール環境がいいということです。残されている環境を守る、21世紀は環境の時代、その時、出雲市は先頭を走っている、21世紀のリーダーは出雲市ですと私は訴えました。」

── 今と違って、まだバブルの絶頂期の時でしたから環境ということをお話されても出雲市のみなさんはピンとこなかったんじゃないでしょうか?

岩國 「おっしゃる通りですね。経済ブームといいますか、日本中が開発に走ってましたからね。」

── その時はバブルとか誰も気が付いていない時でしたから。

岩國 「『バブル崩壊まであと二年』といったところでしょうか。バブルの頂上が見えるところ・・・でもそごが頂上と思っていなかった時ですからね。しかし、あとからみたら、八合目だったわけです。でももっともっと登ろうかというときに、私は頂上の次は降りるしかないんですよ、これからは開発より環境の時代が来るよと訴えて市長選に臨みました。」

── 先生はなぜ、その時点でそのようなことが言えたのですか?

09岩國 「私はそれまで世界の四大都市にいて、その都市がどのように作られてどのような問題を抱えているかを見てきたからです。ですから出雲に帰ってきて、出雲には環境が残されている、だからこれを残したいと思いました。でも私だけが思っても始まりません。市民に呼びかけることが必要なのです。」

── 出雲市のみなさんは開発の方を求めておられたのでは・・・?

岩國 「ですからみなさんに頭を切り換えてもらわなければいけなかったのです。私の話を聞いていただいて、納得してもらわないといけません。説得するのに際してその時私にはふたつの強みがありました。ひとつは、世界の国をずっと見てきました。週刊誌を見て言っている訳ではなく、実際に自分で歩いて、生活してきた実績があったからです。その経験を踏まえて呼びかけました。これは説得力がありましたね。それともうひとつは私の母校、出雲高校での成績がよかったことです(笑)」

── (笑)そうですね。それは説得力はありますよね。

岩國 「ですから、議会と一緒に改革を進めることができたのは、市長になる前から市民の皆様に意識変革をしていたからだと思いますね。」

── バブルの時代、次から次へとゴルフ場がたくさんオープンしていました。今となっては自然破壊と言われています。

岩國 「自然破壊とおっしゃいますが、必ずしもそうではないと思いますよ。世界のゴルフ場、例えばアフリカのゴルフ場とかも見てきました。でも自然を破壊しようと思ってゴルフ場をオープンしたんではないのです。木を切ったじゃないかと言いますが、結果として都会の人々が緑の中に入れるように、行くようになりましたよね。ゴルフ場がなかったら入れませんし、行きませんよ。緑の中に人々を近付けさせたという効果をもたらしたと思います。自然破壊という反面、誰が緑を供給したかを前向きにとらえないといけません。」

── 嬉しいお言葉です。

岩國 「私はゴルフ業界とは関係ありませんが、ネガティブに考えてはいけません(笑)。」

── ありがとうございます。先生はゴルフの方は・・・

岩國 「最近はしていませんね。サラリーマン時代にはよくしていましたが。海外ではゴルフは一番お金がかからなくて健康的な週末の過ごし方という意識でしたね。」

── それから、たしか出雲市長の時代に先生が初めて樹医制度を確立されたと聞いておりますが。

岩國 「はい。出雲市民のみなさんが環境の価値というものを市長選挙を通じて気が付いて下さった。ではその環境をどのようにして、どういう風に活動して21世紀に残していくかを市民のみなさんと一緒に考えてみよう。これがはじまりでした。そして私がいくつか提案して市民のみなさんが選んだのが、木のお医者さん、樹医だったのです。」

── でも、木のお医者さんっていう発想にみなさん驚かれませんでしたか?

岩國 「そうね。びっくりされましたね。でも木の文化を見直そうと・・・。ロンドン、パリ、ニューヨークに住んで世界の文化を見てきたから言えた言葉だったと思います。それと『緑の少年団』というものも作りました。」

── 『緑の少年団』ですか。それは一体・・・

岩國 「緑の行政10項目というのをつくりまして、樹医制度や木造校舎とかの項目があるのですが、その中に『緑の少年団』という項目を作ったんです。子供達を緑と親しませるためにということです。あと、『環境探偵団』、中学二年生になると全員が参加するんですが、目的は自分の町の中のどんな環境がいいのか悪いのかを自分の目で発見して報告するという、こういった形で子供達を環境問題にふれさせていくことによって、未来の環境問題について色々と考えていってくれると思いますね。」

── ゴルフで言うジュニア育成みたいなものですね。環境も今だけではなく、未来につなげていくにはジュニアの力が大切ですからね。本日はお忙しい中、貴重なお時間を有難う御座いました。


岩國代議士はご自分が経験されてこられたからこそ、環境の大切さを熟知されていて、どうしたら自然を大切にした良い環境を次の時代に残して行けるかを出雲使用の時代から考えてこられました。それと特に驚いたのは、環境に対してのジュニア育成が既に行われていたことです。私たちゴルフ業界も今抱えている問題もありますが、岩國代議士のように未来を見据えていなかればなかなか出来ない行動だと思います。私達ゴルフ業界も、子供たちの未来のために環境も含め、様々な視点で考えていかなければならないと切に感じました。